パクリとオマージュの境界線
誰かが言ってました。
創作とは常に既存のものに何かを掛け合わせることだと。
つまり自分なりにアレンジしろっつーことですね。
どこからがパクリで、どこからがオマージュなのか。
これはプロアマ問わず僕ら作品を創作する人間にとっては永遠の課題であり問題でもありますよね。
世の中に出回っているストーリーというのは、その媒体を問わず、大雑把に分類するとパターンが九種類程しかないと聞いたことがあります。
そんな中、現代で、何千、何万とある創作物のどれにも類似していない作品など存在し得るのか?
どう考えたって、ないに決まってます。 笑
というか、全然被らないなんて絶対に無理だと思います。
もし、あったとするなら、それはきっと誰にも理解されないような極めて独創的で摩訶不思議な作品なはずです。
僕の作品だって、自覚こそないものの、きっと世の作品の何かに似ていたりはするでしょう。^^;
ある作品をパクリと感じる理由としては、その受け手の価値観や倫理観、基準によって左右することは言うまでもありませんが、その人がオリジナルの作品に対し、どれだけ思い入れがあるかにもよるかも知れません。きっと好きな作品を汚されたような気分になるんでしょう。
まあ、設定からストーリーから全て似ることも常識的に考えて、あり得ませんから、そういったものはパクリと揶揄されても仕方ないと思いますが。 笑
二度目の類似はパクリになるが、三度目はジャンルになる。
またまた持論で恐縮ですが、これ、本当にそう思うんですよね。
例えば、あるヒット作があるとして、それを誰かが真似をした場合、それはパクリと猛烈に批判されることになるはずです。
でも、その次に三度目、四度目と他の誰かが真似をしていくと、どうでしょうか?
それは一つのジャンル、カテゴリーとして確立されるはずです。
現存する今の文化だって代々、そうやって続いてきたはずです。
従って真似することは必ずしも悪とは限らない訳で、物事を進化させていくには必要不可欠な工程と言っても過言ではないと僕は定義づけます。
(だからってバンバン、人のもんパクっていくぜ!って意味では決してありません。誤解しないでください 笑)
後、真似したオリジナル作品より高評価になった場合も、それはパクリとは言われずに賞賛されることでしょう。
要は良い作品を作ればいいのですよね。 笑
それが一番難しいのですが。^^;
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